前回書いた記事は不登校児の母になった話です。
不登校の小学生の母親になったのでブログでシェアします☆うちの解決法
そこから何か月か経って現在やっと近況報告をする気持ち見なりましたので、ご報告です。
幼少期に発見できないほどのグレーゾーンの発達障害のお子様をお持ちの方に少しでも新しい情報が届けばと書いていきたいと思います。
発達障害と診断されたきっかけ
うちには2歳差の姉妹がおります。
一人目は言葉を覚えるのも早くもしかしてIQが高いのではとも思えるような育ち方でした。
ただ、2歳を過ぎたころに自分のルールに沿えないことがあるとかんしゃくを起こすようになり、長い時は1時間以上も怒ってしまい、こちらもへとへとでした。
きっと2人目が生まれたことで自分に愛情が向かない錯覚に陥ったのだと思います。私の印象としては2人目がうまれてもお姉ちゃんに手がかかっていた印象のほうが強いです。
トイレトレーニングが始まったり、いやいや期とかさなったのもあるかもしれません。
反対に下の子は起きているにも関わらずナンゴ(赤ちゃんが話しているように放つ音)も話さず静かな子でした。いつもお姉ちゃんの様子をゴロゴロしながら様子を見ているような印象でした。
幼稚園での様子は前回の記事に書いたとして、発達障害が見つかった時期について書いていこうと思います。
きっかけは、上の子が小学三年生で学校を休みがちになり、10月ごろから不登校になったことでした。私は頭の中では今は根性論が効かない多様性の育て方で、行きたくないなら行かなくていいという時代だとわかっていました。
しかし、休んでも家では普通に元気に過ごしている。学校の勉強は遅れていく。私は家にいなければならない?なにもかも初めての経験で自分が勉強を教えなければならないなど四苦八苦して対応していました。おまけになまけたがる下の子も1年生なのでお姉ちゃんが休んでいる理由がうまく伝わらず一緒に休みたいというようになりました。
そこが、母としては二次被害で、逐一学校に欠席連絡を入れるストレスと行けない理由探しをしなければならない思い込みで苦しんでいました。
ただ、家にいる間はふたりとも元気で楽しそうなんです。をれが私には理解できず、イライラもつのりました。
次に起こった疲弊の原因は例えば次の月曜日は行くよと約束しても当日の朝になると本人がなにかしらの不安に襲われてやっぱり行かないと言うことでした。
約束をやぶられ裏切られた気持ちになるたびに軽いパニックで涙が出ました。
ある日、行くと言っていた前日の夜に約束を破られることが悲しいと伝え、パパとママであなたに寄り添ってきたけど、これ以上どうしたらいいかわからないと正直に話して、クリニックに行くやくそくをしました。3年生の時には拒否していたのに4年生では行くと言ってくれたのでその場でWEB予約をしました。問診もWEBで自分でこたえていました。それはこだわりの一部。新鮮でした。
その後のこと、これ以前の事もこちらで書いていますので参考になると嬉しいです。